私はアメリカの大学院の留学中に、現地のバスケットボールのセミプロチーム(ABA→途中NABLに移行)へ加入をしました。
期間としては2016年10月から2017年3月に帰国するまでの約半年間で、プレシーズンでしたが試合を含む諸々チームの活動に参加しました。
私は当時28歳で決して若いとは言えず、日本でプロになれるかと言えばそれほど上手い訳でもありません。
ましてやアメリカでその環境に入ることは自分を知る誰もが想像していなかったことかと思います。
しかし、事実それを実現をさせました。
私のような凡人でもそのようなチャンスを掴むことができるということで参考になればと思い、今回自分の行動記録をここに残しておきます。
- 大きな夢に向かって挑戦をしている
- 行動したいが最初の一歩を踏み出せずにいる
- アメリカという国での可能性を知りたい
私のバスケ歴と、自分の留学生活を変えた出会い
中学から始めたバスケはド下手で、社会人でようやく試合に出れた
私はバスケットを始めたのは中学の時でした。
チームは上手くいっても地区2~3回戦で負ける弱小校にも関わらず、私はスタメンでもないと言う才能の無さでしたが、その頃から野心だけはありました。
中学でも大して試合に出れなかったにも関わらず、高校は県の強豪校(かつ進学校)に進み、そこでもほとんどの期間をBチームで過ごします。
高校では人より早く来て遅くに帰る生活を3年間していましたが、やはり絶望的に使えず、ベンチどころか応援の日々を送っていました。
結局3年生の最後に一度だけ試合に出してもらえましたが、高校の部活はほとんどほろ苦い思い出です。
その後、バスケはこれが自分の限界だなーということで、大学は部活に入らず典型的な大学生活を送りました。
それでも一応地元のクラブチームなどで週1くらいは続けて完全に辞めなかったのは、後で良かったと思うことでした。
そして時は経ち、社会人になり、色々あり、なんだかんだバスケは続けている状況で24歳。
地元のバスケ仲間のご縁で、当時の実業団リーグのチームに参加させてもらえることになります。
そこから私は高校以来のバスケ&トレーニングを本気で再開しました。
そのチームはもちろんトップリーグ所属ではなかったものの、能力あるメンバーもそうでないメンバーも共に上を目指して練習している所がとても好きでした。
2年間近く週末練習&日々トレーニングに明け暮れ、そこで少しは上手くなったかなと思います。
ちなみに、社会人で人生初めての公式戦スタメン出場を記録します。笑
26歳でのアメリカ留学と、出会い
バスケもようやく楽しくなってきたところでしたが、2014年に以前から考えていた海外留学に踏み切ります。
留学先はアメリカ・シアトルで、大学院での勉強が目的でした。
この期間はバスケができないの一旦仕方ないとして、トレーニングだけは継続し、また日本に戻ってきたころにバスケをやればいいと考えていました。
が、アメリカに渡って1週間くらいの時の出来事でした。
現地のジムでトレーニングをしていたところ、日本からアメリカにプロを目指してバスケ留学に来ていた方と出会い、これにより自分の運命が変わります。
彼と話している中で、彼の夢に向かう姿勢や、「アメリカに来たからには絶対にバスケした方がいい」という言葉に大きく感化されることになりました。
そして、当時は自分でも笑ってしまうくらいでしたが、留学中に本気でバスケをして、2年間以内に現地のセミプロチームへの加入を目指すことに決めました。
私は何か心に決めたら有言するタイプなので、当時連絡をとっていた何人かにそれを言ったところ、もちろん「はいはい」というような反応でした。
今思うと、自分がこの時周囲から無理だと思われても努力するようなアホであったことと、その方との出会いにはとても感謝をしています。
(彼はその後アメリカでセミプロチームに加入し、日本でもプロになりました。)
このように、元々勉強を目的にアメリカに留学に行ったのものの、結果的に周囲からはバスケ留学(or筋肉留学)だと言われることになったのでした。
アメリカでの練習の日々
勉強と両立させて練習とトレーニングをする毎日
さて、アメリカの大学院で勉強しながらバスケのプロチームを目指すなんてどうやるんや、という話です。
毎日学校で授業がパンパンに詰まっていたらそりゃ無理です。
幸い、自分が大学院でとっていたコースはオンラインとオンサイトがミックスの授業が主で、時間にはかなり融通を利かせることができました。
(費用の比較的安いプログラムを選んだためこのような形態になっています。)
なので授業や課題の合間を塗って、地域のジムでバスケの練習とウェイトトレーニングをほぼ毎日行なっていました。
ちなみにアメリカのジムには体育館が併設されているところも多いです。
そこでは、子供から大人まで、カレッジやセミプロレベルのまで様々な人が一緒にバスケットをしています。
私はそんな中で現地の人々に混じってゲームやワークアウトを毎日していました。
時には中学生くらいの子供に舐められ、プロレベルの人にはほぼ確実にボコボコにされる日々です。
(大学院でもディスカッションでボコボコにされる毎日だったので、割としんどい日々でした...。)
しかしそうこうしている内に、そのジムでアジア人でそこまで本気でバスケをする奴はいなかったこともあってか、色々な人が自分に興味を持ちます。
そこで出会った人から別の場所でやっているバスケに誘ってもらい、そこでまた新たなコネククションができる、という良い循環が生まれました。
アメリカには夢を語れるやつしかいなかった
そんなこんなで毎日バスケをしていた私ですが、他人から見たら、身の程知らずだと思われてもおかしくない言動をしていた自覚はあります。
(日本で「プロを目指す」と公言するには自分がそれなりのレベルでないとできない空気があると思います。)
しかし、自分と一緒にトレーニングをしていたアメリカ人でそれを馬鹿にする人は誰もいませんでした。
私は、自分と同じように(むしろ自分より)上手くない友達が「NBAに行く」って言っているのをよく聞いていました。
その時、それがとても大変な道であることよりも、その可能性がゼロではないことに注目する自分が確かにいました。
アメリカでのそんな自分の夢を語れる人たちの間での生活は、人の考えや行動は環境に大きく左右されることを肌に感じた経験でした。
そこから今では私の行動指針にもなっていますが、何事も基本的にできないとは思いません。
また、「プラスな考えを常に発しているような人たち」とできる限り自分の人生の貴重な時間を共にしたいと考えています。
そんな人たちに囲まれていたアメリカの生活は文字通り最高の時間でした。
チームへの直接のコンタクトと、トライアウト合格
学校と練習&トレーニンングの毎日を約1年半続けた2016年の春、その後夏の間3ヶ月帰国を予定していたところで私は行動を起こします。
前年の同時期にシアトル地域の各チームがFacebookなどのSNSでトライアウトの告知をしていたのを覚えていたため、そのチャンスを伺っていました。
しかし、2016年も同様にアナウンスがあるかと思っていたところ、なかなかポストがありませんでした。
私は一時帰国前にどうしても挑戦したく、そこで待っていても仕方ないので、自分で片っ端からチームに連絡をしていくことにしました。
そこで、一つのチームのコーチから連絡があります。
そこのチームは上記でも述べた私が出会った日本人の方が以前所属していた経緯もあり、何とか繋がれるかもと思っていたら予想通り返事がありました。
私は自分が日本から来て大学院で勉強をしながらバスケを続けていること、ハイレベルな環境でプレーをしたくチームに入りたい旨を伝えました。
結果的には、2016年はオープントライアウトはなかったものの、コーチが特別に個人的にワークアウトを見てくれることになりました。
そして忘れもしない2016年6月6日のこと。
コーチが私が通うジムに訪れ、ピックアップゲームでのプレーを見た後に彼から「喜んで」という言葉をもらいます。
すぐにFacebookで私のチーム加入をアナウンスしてくれたことは、人生でも一二を争う「自分でも信じられない」瞬間となりました。
アメリカのバスケのセミプロチームに加入した半年間
正直トライアウトを合格した時点で、私のアメリカでの目標は達成されました。
その後は考えていなかったものの、アメリカで試合に出た証拠写真一枚くらい撮ってもらい、バスケ人生の有終の美を飾るか、くらいの気持ちでいました。
トライアウト後、私は日本に一時帰国し、2016年の9月末にまたアメリカに戻りチームの活動に参加します。
最初はタコマというシアトルから2時間くらい南に行ったところで別のABAのチームと練習ゲームを行い、そこでチームメイトとも顔を合わせました。
その後、2016年中にポートランドやカナダなどへの遠征にも同行をさせてもらいます。
カナダでは自分含めて5人で戦い、チャンスは沢山あったにも関わらずシュートが入らず、結局2点で終わったのはこれまたほろ苦い思い出です。
で、2017年1月にまたタコマでNABL (North American Basketball League)のプレシーズンゲームをして、私のアメリカでのバスケは終了します。
※本来なら秋からABAのシーズンが始まるところでしたが、その年NABLに移行したため、シーズンが通常とは異なりました。
(半年弱の間でしたが、総じて、もちろん大した活躍はできていません。)
2017年3月に日本に帰国、再びサラリーマンへと戻るのでした。
正直そのまま残っていてもロスターには残れなかったと思うので、チームに加入できただけでも奇跡で、自分としてはやり切ったという気持ちです。
アメリカにいた2年間、人に何と思われようと気にせず、挑戦をして本当に良かったと思っています。
まとめ
バスケに関わらず色々なスポーツで海外挑戦している人は沢山います。
その中には日本トップクラスの選手もいますが、私のように特に日本でも活躍できないにも関わらず海外にチャンスを求めている人たちもいます。
そんな人達のことを「大した能力がないのに」ということは簡単にできますが、その行動結果、彼らは普通の人ができない経験をしています。
今回私が自らの体験を通して感じたことは、思い切ってバカになって行動した方が得をするということでした。
人より才能がなくても、自分の行動次第で人が羨むような体験ができることもきっとあります。
一方、能力があっても、行動ができずに損をしている人たちは世の中に腐る程います。
そんな人生のレッスンを得たのが、私のアメリカでのバスケの挑戦でした。
ちなみにアメリカへ留学が結果的にほとんどバスケ留学に変わってしまったことについては、まあこれも人生のネタとしてありかなと思っています。
このアメリカでの経験を大事にして、私は今後も行動・挑戦をし続け、面白い人生を生きていきます。