今でこそ英語には全く抵抗がないものの、私は生粋の日本生まれの日本育ちです。
10年以上に及ぶ苦労の末だんだんと英語を身につけてきた結果、今のところざっくり以下のような経験を得るところまで来ました。
- TOEIC950点以上取得
- 社会人からの海外大学院留学
- 海外メンバーをリードしての仕事の日々
- 外国人彼女とのお付き合い
今回は、そんな私の英語との格闘の歴史を以下に綴ってみたいと思います。
ちなみに英語との戦いに終わりはないと心得ているので、永遠の未完成ログかもです。
- 英語を頑張って勉強中の社会人
- 純日本人が英語を上達させる道のりを知りたい
- 英語を使って生きる未来に憧れる
高校時代(大学受験期)
部活引退後、猛烈に英語を勉強開始
自分の記憶では英語の勉強を頑張り出したのは高校生のころからでした。
「部活を3年間頑張った」を言い訳に3年生になるまではほとんど何もしていなかったので、英語の成績はもちろん全ての教科の成績が悪かったです。
一応進学校にいて周りのレベルが高かったためその悪さがより際立ちました。
具体的に言うと、2年生までの学年順位は常に380~390/400人くらい、模試での偏差値は50以下からのスタートでした。
高校3年生になり、ようやく部活も一区切りというところで英単語の勉強から始めることになります。
当時ちょうどテレビで放送されていた「ドラゴン桜」に影響され、「英単語ターゲット1900」を使いながら猛烈に暗記を繰り返していました。
(そしてこの後東大に....ということにはなれば最高でしたが、そんなことはありませんでした。)
この高校3年の夏休み以降は部活も引退して、人生で一番勉強した期間になりました。
文法については、ひと昔前受験生の間でバイブルであった「大学入試英語頻出問題総演習」(英頻)を文字通り舐めるように何度も繰り返します。
ここまでで長文などの実践形式にはほとんど触れずでしたが、夏休み終了間際に受けた河合の記述模試で英語の偏差値が60程度まで上昇しました。
秋からのスランプを乗り越えて合格
その後、秋から年末にかけては伸びがいまいちになり、過去問に挑戦しても長文の得点が安定しません。
目標校の過去問の英語点数も、ボーダーぎりぎりの6割いったりいかなかったりで、センターの演習も9割以上いきたいところが8割でした。
この辺りで英語長文をちゃんと読めてないことに気がつきます。
ここでようやく1からしっかりと長文に取り組んでいこうと決意し、いわゆる精読と音読を時間をかけて繰り返しました。

その結果読みの精度が確実に上がり、英語の長文問題が高得点で安定します。
そして高校3年生の冬の入試本番、最後の最後まで粘って勉強を続けた結果、英語教育で有名な都内の某私立大学に現役合格することができました。
大学時代前半
必修授業の英語プレゼンを逃亡するほど英語恐怖症に
「きっと将来役立つから、大学に入っても英語だけは続けよう。」
とモチベーション高く入学するも、キャンパスライフが楽しくて英語は2年間ほぼ全くやらずでした。
特に1~2年生で必修の英語の時間は苦痛で仕方なかったです。
入学してすぐのプレイスメントテストで高得点が出たらしく、上級クラスに入ったことで友達に対して得意面になったのもつかの間でした。
自分以外クラスのみんなが英語を喋れることに愕然とします。
「留学してた」
「帰国子女」
「英語でディスカッション」
「英語プレゼン」
etc...
日本の伝統的な教育を受け日本の高校生を真っ当に生きてきた自分としては、別の世界にあるとも思えるワードが次々と飛び交っていました。
そこで英語の授業が恐怖で仕方なくなり、1年生の前期の英語のクラスではそんなこんなが色々嫌すぎて、期末テストにあたるプレゼンを逃亡します。
はい、今思うと本当に最低な行為だと思います...。
が、周囲が当時の自分にとってはびっくりするくらい英語を流暢に話すもので、もうどうしようもなく。
子供だった自分は「人前で恥をかく」ということに対して尋常じゃない抵抗があったのです。。
それでも最後には単位をくれた丸々としたアメリカ人の先生には、申し訳なさ過ぎて言葉もありません。
まあもう過去のことですし、深く反省して今に生かせているのでよしとします...。
TOEICを初受験し、自分のレベルを知る
上述したように、今ならできる「成長の機会だ!」と思って練習することもまったくせず、プレゼンを無断欠席した最低な自分でした。
しかし、「大学生はTOEICなるものをうけるらしい」と大学2年生の時に知り、再び英語への関心が出てきます。
就活にもプラスになるらしい、ということで試しに受けてみたところ、初受験でスコアは610点でした。
受験の時の財産があったため思ったほどは悪くはありませんでしたが、決してスゴイとも言えないスコアでした。
1年生の時のプレゼン逃亡事件もあり、自分の現在位置を確認したこのあたりから頭の片隅に、
「英語を使えるようになりたい」
という思いが芽生えてきます。
大学時代後半
英文科の授業でのペーパーバックリーディングとの出会い
そんなこんなで「もう一度英語を頑張ってみよう!」と本腰を入れ出したのは大学3年生の頃からです。
1~2年生の必修の英語がようやく終わったのに、3年生であえて他学科である英文科の授業をとってみることにしました。
(「必修の英語頑張っとけよ」と誰しもが思うことでしょう。笑)
その授業では課題とする英語のペーパーバック(基本的には小説)を自分で決めて読み、内容について毎月レポートを書くというものでした。
そして、その授業との出会いがその後の私の英語人生に思わぬ大きな影響を与えるものとなりました。
率直に、英語小説を読むことがめっちゃ楽しかったのです。
「これならできる」と思いました。
ペーパーバックを読むという学習法に手応えを感じた自分は、真面目にひたすら課題に取り組み、約1年間コツコツと小説を読み続けます。
結果、3年生の最後に受けたTOEICでは775点を取得することができました。

就職活動後にラストスパート
3~4年生にかけて就職活動があり、苦労しながらもなんとか行く先が決まります。
大学4年生という人生の夏休みは授業もほとんどなく、フリーター並みにバイトしてみたり、遊んだり、旅行したりして過ごしていました。
その後、今後のために秋頃からまた英語学習を開始することに決めました。
このあたりで具体的な目的として、近い将来海外に行くことも決意します(大分決意が遅かったのは否めません!)。
そして海外で英語を使うことを見据えて耳と口も動かしていかねばということで、新たな方法としてシャドーイングを取り入れてみることにしました。
結果的にこの学習法が功を奏し、4年生の卒業前に受けたTOEICでは870点とスコアを一気に伸ばします。

この時点で「海外留学しなくてもTOEIC900はいける!」と鼻息を荒くしますが、その後の社会人生活ではまたしばらく英語から遠のくことになります。
留学前のサラリーマン時代
新卒で入社した日系のIT企業では3年と6ヶ月文字通り朝から晩まで働きました。
その間、仕事関連で他にも色々勉強したいことができたため、英語の勉強はほとんどしませんでした。
そして時は経ち、社会人生活も4年目になる頃。
仕事も少し慣れてきたところで今後のキャリアを考えた時、
「今海外に行かなかったら絶対にあとで後悔する」
と思い、留学の準備を本格的に始めます。
が、TOEFLの初受験では撃沈。
同じく純日本製でTOEFL受験経験がある友達が、スピーキングで、「あ...」「う...」しか発せなかったと言っていましたが、まさにそれでした。
一応、その後怒濤の追い込みで急成長を見せ、留学には漕ぎ着けます。

行き先・行き方としては色々迷った挙句、アメリカの大学院に留学することにしました。
アメリカ大学院留学中
アメリカに行ってからはもちろん英語との格闘の日々でした。
大学院の初めの授業でチームを組んだネイティブの言葉をほとんど理解できずにその学期が終わってしまったのは今ではいい思い出です...。
当時の自分にとってネイティブの英語は尋常じゃなく速く、もう完全にお手上げ状態なのでした。
また、自分には理解できない言い回しを彼らが使うことも多々で、いかに自分がお勉強用の英語教材の中に生きてきたかよくわかりました。
ちなみに、私はオンラインとミックスのプログラムを取っていたため、授業が週2コマほどしかありませんでした。
意識して生活しないと英語を向上させられる機会は思ったよりもかなり少なかったため、危機感を感じた私は、
- 毎日ホームステイ先の家族と英語を話し
- 現地のテレビ番組をひたすら見て
- 見知らぬ人々になんだこいつと思われながらもとにかく絡む
といった日々を365日繰り返していました。
そんなヒーヒーの毎日を暮らしていた結果、アメリカに来て1年が過ぎたくらいではようやく慣れてきた感覚を得ることができました。
これは学校でも自分の周りに日本人が全くいなかったことも幸いしたと思います。
日本での大学時代あれだけ嫌いだった英語でのディスカッションやプレゼンも厭わずに行えるようになりました。
また、アメリカ・デンマーク・インド・ウズベキスタンなど多国籍メンバーがいる環境の中でインターンシップも経験。
2年以上ひたすら毎日英語と格闘した結果、最終的には「英語で闘える」と思うところまで来ることができました。
留学後のサラリーマン時代(現在)
アメリカ留学から帰国後、外資系コンサルティングファームの東京支社で働くことになりました。
海外メンバーとのプロジェクトも多々で英語を使う機会が多くあり、自信を持って「仕事で英語を使える」というレベルに達することができました。
加えて、留学時よりもさらに意識を高めて英語の勉強ができていることで、アメリカから帰国後1年以上経った後でTOEICのスコアを955点に更新します。
(留学中、就活前に受けた時のスコアは945。)
その後1年半ちょっと働いた後、現在はWeb系企業に転職し、引き続き英語での業務やプレゼンの機会も多々の日々を過ごしています。
また、留学中に出会った彼女が外国人で英語でコミュニケーションとなるため、英語を使うことが自分の人生の一部になった感覚です。

まとめ
以上、今回はこれまでの私の英語とのお付き合いの歴史についてのシェアでした。
純日本人である自分の英語は決して完璧にはならず、勉強に終わりはありません。
やればやるほど自分のできなさがわかってきます。
なので、今後も気長に、楽しみながら英語のレベルアップを図っていきます。
その過程での気づきや学びについては、私と同じように日々英語を勉強をする方のヒントとなるよう、引き続きこの場でシェアしていきたいと思います。